錬心舘の紹介 of 錬心舘 横浜中央支部

錬心館の紹介

sou4.jpg全日本少林寺流空手道連盟は、昭和30年鹿児島を本拠地として開祖 (故)保勇十段範士(平成12年5月30日没 享年80歳・勲四等端宝章) が錬心舘を創設。

以来、全国にその組織網を拡大し、日本国内に1200支部、海外にも中華民国(台湾)に6支部、アメリカ合衆国に30支部、フィリピンに3支部、インドネシアに15支部、プエルトリコに10支部、ドミニカ共和国に150支部、フィンランドに8支部、その他にスエーデン、ロシア連邦、メキシコ、ブラジル、パナマなどに所在しており、会員数、延べ35万人を数える挙団として成長している。
錬心舘空手道は、人命尊重の見地から安全かつ実践的な防具着用の試合制度を実施し、判定の明確化に努め、スポーツ性と武道制を兼ね備 えた真の大衆武道としての組織を確立している。
また、早くから「空手道を通した人づくり」に心血を注ぎ錬心舘空手道を人間形成の武道 と位置づけ「百年先を憂いては人を育てる」という指導理念の下、普段の指導方針の単なる武道の修得のとどまらず、人格の陶治、精神力の充実強化、道徳心の涵養に努め、心身共に健全な青少年の育成に主眼をおき、真の空手道の創造を目指し活動している。


宗家保巌十段範士の紹介

souke.jpg宗家保巌十段範士は、開祖(故)保勇十段範士の長男として昭和23年鹿児島にて誕生。平成12年5月少林寺流空手道錬心舘宗家を襲名。

師であり、父である開祖の薫陶の下、厳しい修行を重ね、型・組手の 最高技術を極める。全国大会に於ける特別演武少林寺流正流七法の最高峰公相君の型は、壮絶豪快の中に華麗さを備えた完成された型と評される。

また、組手技術は防ぐことのできない空手道の最終技術とし て空手界の畏怖の的となった「後ろ回し蹴り」「連続回し蹴り」「二段廻転蹴り」「足刀くの字飛び」「螺旋回し蹴り」「逆風足刀蹴り」等あらゆる技術に精通している。

昭和42年、第一回全国選手権大会に於いて、圧倒的な強さで優勝を飾り、爾来指導者として普及活動を開始。昭和44年弱冠19歳でフィリピンに渡り、バギオ商工科大学で指導。昭和46年には、台湾派遣団の団 長として台北市に於いて指導。昭和56年にはドミニカ共和国を拠点に中米各国で指導、現在活動する中華民国、ドミニカ、プエルトリコ等支部の基礎を創る。

近年は欧州、インド、北米各地でも指導にあたり、 高い組手技術と深い精神性を有する代表的な日本武道として、年々、 愛好者の数を増やし、空手道の国際化を推進している。また、発展途 上国海外支部の子供達に空手衣を贈る運動等、国際交流や福祉活動を展開している。

「空手道の神髄は型にあり」、合理性に立脚した華麗でスピード感溢れる型の普及を通じて健全なる青少年の育成に大きく貢献したことは 顕著な功績である。また、その卓越した指導力で教育者としても全国各地に精神的・技術的高揚をもたらし、連盟発展のための近代化、国際化に尽力している一門の総帥である。勇壮で機和に富み、至情溢れる指導者で錬心舘空手道の格調高い精神性を原点に21世紀の武道家として広く敬愛を集めている。